『フリッカー、あるいは映画の魔』上・下 セオドア・ローザック 作  田中靖 訳

フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)フリッカー、あるいは映画の魔〈下〉 (文春文庫)

分厚い上下巻。
しかし、ぐいぐい引き込むストーリー展開ではありません。
かといって、脱線につぐ脱線で長くなっている訳でもありません。
映画好きでやがて映画学科の教授となる若者ジョナサンが、幻の天才監督マックス・キャッスルの作品に出会い、今や入手困難となったその作品を求めているうちに様々な人に出会う話です。
ある一面は。

映画が何故生まれて、そして何故これほど人々の心を掴むのかについての話です。
そこにはある組織の数千年の歴史と意思が働いていて、今もその組織は映画を使って何かを成し遂げようとしています。
若者ジョナサンがその陰謀に巻き込まれて、冒険と遥かなる旅を余儀なくされる話です。
ある一面は。

かつてドイツで若き天才と称えられたマックス・キャッスルは、より自由な映画作りを求めてアメリカに渡ってきた。超大作を手掛けるも、内容に問題ありとして上映は中止。『市民ケーン』を撮影中のオーソン・ウェルズに協力したり、『マルタの鷹』の製作についてジョン・ヒューストンにアドヴァイスをしたりと大物ぶりを発揮するが、もはや低予算ホラーの監督しかさせてもらえないようになっていた。そんな映画界の幻の大監督についての話です。
ある一面は。

全ては映画のためにある話です。