『われらが歌う時』上・下 リチャード・パワーズ 著 高吉一郎 訳 新潮社

われらが歌う時 上われらが歌う時 下
大傑作。
とりあえず読んでみてください。
以上。







と書いて終りにしたいくらい。
読めば凄さが判るし、読むのなら事前情報は何もない方がいいと思います。
それでも、折角なので少し感想を。
邦訳されたのパワーズの小説『舞踏会へ向かう三人の農夫』『ガラティア2.2』『囚人のジレンマ』。
どれも傑作だけど、処女作『舞踏会へ向かう三人の農夫』が頭1つ抜き出ている、と個人的には思っている。
それは、『舞踏会へ向かう三人の農夫』には持てるものをすべて注ぎ込んだ、処女作ならではの輝きがあるからだとずっと思っていた。
パワーズはおそらくこれを超える作品を書けないだろう、とも。
しかしそれはわたしの考え違い。
この『われらが歌う時』は、邦訳が出ている作品の中で最高傑作だと確信しました。



ユダヤ人の亡命物理学者デイヴィッドと黒人のアマチュア歌手ディーリアが結婚をする。
時は1940年、ところはアメリカ。
この小説は、彼らと彼らの3人の子供たちの物語。
天才的歌唱力を持つ長男ジョナ、その兄に忠実に付き従う真面目な次男ジョゼフ、2人の兄に愛情と反抗心の両方を持つ長女ルース。
基本的には、ジョゼフを語り手とする未来へ向かう子供たちの成長の物語と、デイヴィッドとディーリアの出会いと結婚を描く過去の物語が交互に綴られていく。


魅力的な家族の、面白い(時に辛く時に楽しい)お話。
この部分だけでも圧倒的過ぎる。
ジョナの音楽に対しての超絶天才ぶり。
その会話のセンス。
ドウェイン・ジョンソンことザ・ロックWWEでロック様だったころのような、高飛車で傲慢で、でもカッコいい感じ。
その天才の兄貴の我が儘に、振り回されたり困らされたりしても、ピアノの伴奏で兄をサポートし続けるジョゼフ。
この2人が音楽学校で厳しいレッスンを受け、友人を得、恋をする。
プロになり2人で全米を席巻する。
ジョナの歌唱シーンの凄さをダイレクトに伝えるパワーズの圧倒的な筆力、思わず声を出して笑ってしまうギャグの的確さ、そして胸を揺さぶる恋愛模様
デイヴィッドとディーリアの苦しくも辛い恋愛。
人種問題に直面するふたり(とその家族)。
でもそんなシビアな状況の中でも驚くほどのユーモアが。
銀河系より小さいものを理解できないと評されるデイヴィッドのスーパー学者馬鹿ぶりが素敵過ぎる。
そしてその友人たちには実在の著名な科学者も多数。
それら科学者たちの奇妙だけど愛すべき姿も魅力的に書かれています。


でも、そんな満腹してしまうほどの家族小説の面白さも、やっぱりこの小説の1要素でしかない(けど大事な要素)。
例えばSF的アイデアが重要な要素だったり(しかもそれをSF的に解釈しなくても問題なく読めるのがすごい)、ミステリ的な技が使われていたりもする。
作中での音楽についての様々な言説を、それらのアイデアの処理の仕方に当てはめて考えるのも一興。
また、アメリカの現代史としてのたっぷりな情報量に、溺れながらも新たな視点を得ることも出来るはず。
さらにそれら盛りだくさんの要素の全体の構成や、パワーズの独特で斬新な比喩を味わうだけでも、小説を堪能したという大きすぎる充実感がある。


たぶん、そこまででこの作品は既に傑作になっていたはず。
しかしこの作品は更にその上に行ってしまう。
知力と計算と技巧の限りを尽くして完全(に見える)なところまで作品を仕上げた上で、その先の何かに届いた。
クライマックス部分を読んでいるときにそう感じて、その驚きで思わず本を一旦閉じてしまいました。
深呼吸してからラストに臨みました。


読み終わった後も、その本について考えるだけで心が躍る。
そんな本です。